vol.5 芸心に丁子紋を秘めて

◎志高く生きた、関寛斎

関 寛斎
関 寛斎

さらに連長・米澤曜の家系を遡ると、高祖父に徳島の蘭学者で蜂須賀藩医だった関寛斎(せき・かんさい)を持ちます。

寛斎は、幕末期の日本で屈指の外科医でしたが、戊辰戦争で功を上げながら明治政府への栄達の道を断り、士族の身分も捨てて町医者となりました。徳島で庶民への医療と社会奉仕に力を尽くし、貧乏人からは一切診療費を取らなかったといいます。

その後72歳にして北海道開拓を志し、当時原野だった北海道陸別町に入植。司馬遼太郎は大著『胡蝶の夢』(新潮社)で、寛斎を「高貴な単純さは神に近い」と高く評しています。

39年間と人生で最も長く過ごした徳島への功績を称え、今では徳島市の中徳島河畔緑地に石碑が建てられています。

このような家系であったことから、寶船の理念の中には語り告がれてきた「志高く生きる精神」が、少なからず残されているのかもしれません。

 

◎伝統に敬意を払い、革新に挑むシンボルマーク


丁子紋(左)と丁子紋をあしらった衣裳(右)

寶船の衣裳には、料亭「丁子」の当時のマークであり、店名の由来となった米澤家の家紋「丁子紋(丁字紋とも書く)」を使用。これは、阿波踊りが日本中に広まった原点であり、米澤曜の血筋の精神を忘れないためなのです。

背には大きな宝の字を背負い、両肩に丁子紋をあしらったそのデザインは、まるで和装の礼服である紋付の略式であるかのよう。「踊りだしたら命がけ」の寶船にとって、神聖な舞台に立つ際にこれほど相応しい衣裳はないでしょう。

 


芸心のシンボルマーク

寶船は、芸心にこだわりを持った活動をしていきたいという強い想いから、結成当初、芸心のシンボルマーク(画像左)を掲げました。このマークは、「心」の中に歴史と可能性を象徴した丁子を秘め、芸心を探究し続けるという意味が込められています。

阿波踊りは形を揃えるだけの行進ではなく、そこには喜怒哀楽があり、おもいっきりやって初めて感動があるものです。この「芸心のマーク」には、小手先では決して身にできない寶船の芸心への熱い思いが表象されているのです。