『芸心』それは一滴の水にたとえられる。
一滴の水が空から雨として大地に降り注ぐと、谷間から一滴の水は湧き出す。
一滴の水は、やがて小川から河となり大河となり海となる。
まさに、一滴の水は美を創り出していることがわかる。
どんな形、どのような情景であっても、一滴の水のごとく『芸心』は、仕組まれていたのだ。
この時、一瞬は永遠であり 自然も人の一生に於いても、『芸心』の意を理解できなければ、 空しいものとなる。
四季の移り変わりと共に 世界中の色んな文化が日本に落ち、やがて、日本は独自の美意識を育てた。
世阿弥の「秘すれば花なり」のように「目には見えないが、そこに全てがある世界」、
「人間の想像力」によって空間を感じ取るという伝統を発展させた。
長い時間を経て、これ等を基本として日本人に『簡素の美』を愛する心を育てたのだ。
いいかげんだからいいのだ。
なんでもいいけど、なんでもよくないのだ!
多数でもいいし少数でもいい。集団でもいいし、個人でもいいのだ。
どうでもよくてどうでもよくないのだ!
芸心の極意は、この「間」が大事という。
この世で一番大事なのは、つまりはとらえどころの無いところにあるように思われる。
どうでもよくてどうでもよくないものなのだ!!
現代人として今、『寶船』は日本人の美として『芸心』の楽しみ方を問う。


寶船 連長