はじめまして!
今年度から寶船のプロメンバーとして活動させていただくことになりました、小林冬馬と申します。
小林冬馬(こばやし・とうま)
簡単に自己紹介させていただきます。
- 出身:兵庫県神戸市生まれ
- 生年月日:1993年12月15日生まれ 22歳
- 大学:徳島大学
- 学部:総合科学部人間文化学科心理・健康コース 休学中
2015年度は大学を1年間休学し、文部科学省の留学促進プロジェクトの支援を受けて「阿波おどりの世界発信」をテーマに、2015年3月から12月の10ヶ月間、韓国の大邱広域市の大学に留学しながら、現地で阿波おどりの発信活動をしていました。
もはや訳が分からないと思いますが、グローバル化が進み、日本でもこんな留学が実現する世の中になったのです…。
阿波おどりとの出会い
阿波おどりと出会ったのは、ひょんなことがきっかけでした。
高校時代は県内の進学校で、オリンピック選手を輩出するほどの全国レベルの水泳部に所属していました。
勉強もスポーツも周りの人には到底追いつけないくらいハイレベルな世界。
「この人たちにはどうやっても敵わない」
そんな環境で3年間を過ごし、漠然と「アスリートを支える人になりたい!」「今までとはぜんぜん違う環境に飛び込みたい!」と思うようになりました。
そんな気持ちでスポーツ科学を勉強するために徳島大学に入学したぼくは、いわゆる「都会」の神戸から、はじめて「田舎」の徳島の地を踏むことになります。
正直に言うと、4年前に徳島に来るまで阿波おどりのことなんて全く知らなかったのです。
徳島大学では、部活や学科ごとに連(チーム)があります。
徳島のまちでは、暖かくなってくると、常にどこからか太鼓や笛の音が聞こえてきます。
阿波おどりはまさに、街全体を上げてのおまつり。
8月の阿波おどり当日のエネルギーたるや、今までの価値観をガラリと変えられるものでした。
「地方にもこんなにすごいお祭りがある」
それをきっかけに阿波おどりが大好きになったぼくは、阿波おどりに力を入れている他学科の連に志願して入連し、2,3年生と2年連続で踊る阿呆を堪能していました。
海外での阿波おどり発信
そんなぼくが海外で阿波おどりを発信していた理由。
そのきっかけは、ぼくは学業と並行して学生団体やNPOなどのいわゆる地域活動に奔走していたのですが、
阿波おどりをはじめ、「地方にも素晴らしい文化がある!」ということ、
しかし、それがどうやら世に知れ渡っていなかったり、上手く生かされていないということ、
それ故に、地方は衰退し、益々都市と地方の格差が拡がり、良いものが知らぬ間にどんどん失われてしまっていること、
どこかで誰かが悲しんだり、苦しんでいること。
いろんなことに気づいたのです。
それは本当に勿体無い。
地域に眠る文化のポテンシャルを引き出し、
地方と都市の格差を埋めたい。
気づいてしまったからには、これに真っ向から挑むしかない。
そんな使命を感じたことがスタートでした。
それを実現する、世界に誇れるポテンシャルを持っているものは何か深く深く考えたとき、ぼくが出した答えは「阿波おどり」だったのです。
寶船との出会い
寶船との初めての出会いは2015年の夏。
阿波おどりを愛するものとして、以前から「日本唯一のプロ阿波おどり集団」である寶船の存在はもちろん知っていました。
そして2015年8月、留学から一時帰国していたぼくは、初めて寶船の生のパフォーマンスを目の当たりにすることになります。
圧倒的にクリエイティブで、エキサイティングな、阿波おどりの常識を覆すパフォーマンス。
心からゾクゾクしたのを覚えています。
転機
それから半年が経ち、留学から帰国したぼくは、
留学の成果、阿波おどりを海外で発信した成果をなんとか日本で、徳島で、生かせないだろうか?とその方法を模索していました。
正直、留学は不完全燃焼。
阿波おどりの世界発信と大きな目標を掲げていたものの、計画通りにはいかないまま帰国を余儀なくされました。
その悔しさをバネに、なんとしてでも成果を出したい。
意味のあることをしたい。
その気持を抱え、ぼくは東京に1ヶ月間滞在し、ある社会起業家養成プログラムへの参加していました。
そんなぼくに、
ある日一通のメッセージが。
なんと、憧れの寶船のプロメンバーから、会いませんかとのお誘いが…!
本当に緊張しながらも、新宿で食事をしたのを覚えています。
そこでなんと、直々のオファーがあったのです…。
ぼくが安定の道を捨てて阿波おどりを選んだ理由
嬉しかったというよりも、本当に驚きました。
人生、突き進んで行った先はどう転ぶか本当に分からないと。
それでもぼくは、最終的に寶船のメンバーとなる決意をいたしました。
4月からは徳島大学に復学し、
ある意味恵まれた環境で、院試に向けた勉強や大学の研究、自分のプロジェクトに没頭するつもりでした。
ぼくは1993年生まれの22歳。
そう、同級生のほとんどはこの4月から社会人になりました。
既に留学をするにあたって1年間休学していたため、周りの同期よりも1年間卒業が遅れることは決まっていました。
しかし、もう1年休学することは、社会的に見て、さらに大きく道を逸れてしまうことを意味します。
ましてや地方大学。
よっぽどのない限り、誰も2年連続休学なんてしないでしょう。
「もう1年休学するにしても、他にも選択肢があったのではないか?」多くの人に言われました。
家族もいきなり休学したいと申し出た息子に対して「反対はしない」と言ってくれたものの、決して快く送り出してくれたわけではありませんでした。
大企業やイケてるベンチャー企業でのインターンで、給料をがっつりもらいながらのビジネス修行。
日本有数の起業家のメンタリングを受けながらの徳島での起業。
そんな選択肢が、実際にあったのも事実です。
正直本当に悩みました。
本来だと既に就職している年齢のはずの息子が、まだ社会に出ていないことによって、親にも安心を与えることができない。
社会のものさしで見ると、卒業もせずに2年も休学しているということは、受け容れられ難い。
そしてなにより、ただでさえ衰退している伝統芸能の分野。自分にはなにができるのか予測もできない。
一見「プロ」というと華やかな印象ではありますが、貯金もほとんどない中、この業界で食っていけるのかも分からない。
いろんな不安がぼくを襲いました。
しかし、それでもぼくは荒波の中の沈みそうな船に乗ったのです。
では、ぼくはなぜ寶船に入る選択をしたのでしょうか。
正直な気持ちを伝えたいと思います。
自分の人生は自分で作る
ぼくはいつも、
- その時々に自分が本気でやりたいと思えること
- 自分だからこそ挑戦できること
- 少しでも社会の課題解決に繋がること
これを軸に選択し、自分の人生を自分で作っていきたいと思って行動をし続けてきました。
それがまさに重なったのが「阿波おどり」だったことを改めて思い出したのです。
さらには、
留学で思うような成果が残せなかった不完全燃焼の悔しさをぶつけられるかもしれない、
1つの分野で、とことん突き抜けてみたいというぼく自身のエゴ、
声をかけてもらったときに感じた、言葉にできない、鳥肌が立つようなワクワク感、
以前から抱いていた地方の文化が評価されない世の中への懸念に対して、真っ向から立ち向かうことのできる環境を得ることができる喜び、
そして、「この人たちとなら、なにかを変えられるかもしれない」という直感。
全てが相俟って、ぼくは自分の心が「寶船に飛び込め」と叫ぶのを止められなかったのです。
自分のやりたいことを、誰かが勝手に作った社会的なものさしや、少し我慢すればどうにかなることのために諦めてしまう。
そんな選択は、ぼくにはどうしてもできなかったのです。
ぼくは、自分で自分の人生を作っていきたいから。
この1年間の目標
とはいっても、ぼくはまだ大学生です。
すなわち、1年後、来年4月には徳島に戻り、徳島大学4年生として最後の1年間の大学生活を再開させる予定です。
約1年間、限られた時間の中で、寶船のメンバーとしてぼくができることは何か、常に自分に問いています。
ぼくは寶船のメンバーはもちろん、
一般的な有名連の阿波おどりの演者に比べても、阿波おどりの知識も経験も圧倒的に少ない。
しかも、プロと名乗るには恐れ多いほど、
とんでもなく身体が硬く、自分の専攻的に見ても、踊りに向かない身体の持ち主です。
ただ、「プロ」として公演をただただこなすだけでは意味がないと思っています。
踊りを極限まで磨き上げ、阿波おどりを通して、見てくださる方々に感動を届けるのは「当たり前」なのです。
その一歩先、「無意識から意識化へ、動的な変化を起こすこと」「より多くの人々に感動を届けること」「その感動(価値)をお金に変えること」が、
ぼくたちが挑むべきことなのだと考えています。
「寶船の評価が、阿波おどりそのものの評価に繋がる」
大げさではあるけれど、今の立場上、過言ではないと思います。
しかし、そのための具体的な方法はぼくにもまだ分かっていません。
その方法を探るためにも、とにかく仕掛けていきます。
がむしゃらにやるだけではなく、
今ぼく自身が東京にいるメリットを存分に生かしながら、
自分の持っているリソースを上手く使いながら、
いろんな人に支えられながら、
誰も想像できなかった、寶船の小林冬馬にしかできないものを創っていきたいです。
でも、大きなものを目指すあまり、結局何もできなかったというのは絶対に避けたいです。
あくまでも浮足立たず、腰を据えて、コツコツと地味なことも全力でこなしていきます。
苦しくても、投げ出したくなっても、「この人たちとなら大丈夫」と感じられる、
そんな環境で過ごせることに幸せを噛み締めながら、1年間頑張っていきます。
ぼくのこれから
ぼくの将来の目標は、
ぼくにたくさんの大切なことを教えてくれた地方から、ビジネスを通して世界をより豊かにすることです。
この1年はその目標に向けた、ほんの1つの点に過ぎないかもしれません。
でも、その1つの点を最大化させるとともに、
ぼくのこの1年の活動を通して、
どこかで誰かが、「自分の人生は自分で作る」と、
そう感じてくれたら嬉しいです。
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小林冬馬

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