《2015/04/12 読売新聞|全文掲載》
wkmn (ワカモノ)
阿波おどりパフォーマー 米沢渉(29)
自由に楽しく 踊らな損々
頭の上で手をひらひら。つま先で地面をつんつん。特徴ある動きで何とか「阿波おどり」とわかる。ただ米沢渉(29)の動きは、極端に激しい。電気ショックを受けたように身を震わせ、ジャンプする。片足を手で持ち上げ、器械体操さながら「Y字バランス」を披露する。「もはや阿波おどりではない……」とされる型破りなスタイル。プロの阿波おどりパフォーマーになって2年が過ぎた。
東京生まれの東京育ち。父親が徳島出身で、幼い頃から親しんだ。小4のとき、父親が阿波おどりグループ「寶船(たからぶね)」をつくった。練習場所は夜の学校の体育館。特別な感じがして、わくわくして参加した。イベントで優秀賞をもらうと、うれしかった。
だが学年が上がるにつれ、友達の反応が冷たくなった。「かっこ悪いじゃん」。足袋をはいて、古くから伝わる踊りを続ける自分。笑われている気がして、次第に熱が冷めていった。
代わって中学の頃から夢中になったのが、父親が趣味で弾いていたギターだった。海の向こうで生まれた音楽はかっこよかった。フォークギターをエレキに持ち替え、ローリングストーンズの曲をコピーした。
19歳で友人とバンドを結成、ライブハウスで演奏を始めた。悲しみの中に希望の火をともす歌詞。ブルース調の曲に乗せて歌うと、全国ツアーができるようになった。サングラスをかけ、寡黙なロッカーを演じた。
2010年9月、人気バンド「憂歌団(ゆうかだん)」でボーカルを務めた木村充揮(あつき)と共演した。木村は雲の上のブルースマン。打ち上げでこんな話を聞いた。
「ブルースってな、ただの音楽のスタイルやないんや。『おいらはこんな人間や』っていうのを、今この瞬間に鳴らすことなんや」
ひょうひょうとした人柄と裏腹に、言葉は熱っぽかった。振り返って自分はどうだ。アメリカ南部の黒人が魂を込めた音楽をまねて、かっこをつけているだけじゃないのか。
その頃、バンドはメンバーが入れ替わり、一体感が失われていた。歌づくりにも限界を感じていた。このまま音楽を続けるのか、やめるのか迷いが生まれた。
それから半年が過ぎた11年3月、ハワイで開かれた各国のお祭りを集めたイベントで、阿波おどりを披露する機会があった。音楽活動を続ける傍ら、かつての仲間と時々、ステージに立っていた。
舞台は海岸近くの路上。始めると観客も体を動かし始めた。「ブラボー」。その声で子供の頃、夢中で踊り、拍手を浴びて心を熱くした記憶がよみがえった。人の目を気にして、好きな踊りを「かっこ悪い」と決めつけていた自分。自分を隠し、うじうじしていた過去を恥じた。「やっぱ阿波おどりでいいじゃん」
その年の暮れにバンドを解散。翌年10月、プロの道を歩み始めた。生活の不安はあったが、「中途半端にやって後悔したくない。阿波おどりで世界を回る」。
現在、グループ「寶船」の中心的存在。ライブハウスやホールで、阿波おどりをベースにした創作踊りを披露する。企業のイベントにも花を添える。年間ステージは200を数え、アメリカやフランスにも活躍の場を広げる。
今でも愛するロックをバックに踊る。「異端」と呼ばれることもある。それでも、伝統を自由な風にさらし、一段と楽しめるように工夫した踊りは、ウソのない自分を感じてもらえる格好のスタイルだ。贅沢ぜいたくできる収入はなくても、自分に胸を張れる今がある。
(敬称略)
(中谷圭佑)
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米澤 渉

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