「阿波踊りとは何か」、私たちにとって永遠に問い続ける難問です。
特に今いるパリでは、本質的な芸能性と精神性を問われます。踊り方やリズム、身に着ける衣装などの表層的な解説は、単なる知識としてしか捉えてもらえません。
「”なんば”のように右足と右手が一緒に出ます」
「”ぞめき”と呼ばれる鳴り物で踊ります」
「450年ほど続いている徳島の盆踊りです」
このような借り物の言葉は、海外の人々にとって実在感がないのです。
「……で、そのスタイルを使って、阿波踊りは何をしてるの?」
と、”その手段を使って何をすることが阿波踊りなのか”を問われます。
生身の言葉で、その問いに向き合える演者は、阿波踊りの業界にどのくらいいるでしょうか。協会や行政の力を借りず、体当たりで世界に出ていくことは、そんな永遠の問いと格闘することなのです。
『自己の解放』から、『自由の獲得』へ
私は今まで、その問いに対して『自己の解放である』という旨を幾度となく言い続けてきました。
阿波踊りで感情をスパークさせ、コンプレックスも悩みも、臆病な自分も、誰かへの愛や憎しみも全て出し尽くし、非言語で自己を表現することーーそれこそが阿波踊りだと信じているからです。
今でも、これは正しいと思っています。
しかし今年、ベルリン、ロサンゼルス、ローマ、スイス、ミラノ、パリと海外公演で出会った人々と話していて、自分にとって新たなフェーズの答えに出会いました。
『阿波踊りは、自由の獲得である』です。
先月、ロサンゼルスで寶船とHilty&Boschの劇場公演を終えた際に、LA国際交流基金の原所長が、
「私たちはこんなにも自由でいいんだ!と感じたよ。そしてそれは、手軽に手にできる自由ではなく、絶え間ない日々の積み重ねで獲得してきた自由だと思った。そう、私たちは自由を売る商売なんだね」
とおっしゃっていました。
その言葉に熱い感情が湧き出てきて、以来、毎日何度も反復して考えています。
選択的自由と、創造的自由
思えば、私の人生は「自由」に対してあがいた日々でした。もっとも嫌いな言葉は、自由。そして、今もっとも愛おしい言葉は自由です。
中学校では、呪縛のような社会の反動で、尾崎豊ばりの自由を求めました。まったく非行少年ではありませんでしたが、「学校は奴隷をつくる仕組み」とすら思っていました。
高校時代は逆に、自由な校風という無法地帯で、心のよりどころのなさで孤独に打ちひしがれました。友だちはいましたが、親友なんて一生いなくていいと絶望していた時期もありました。人に期待され、頼り合うことのできる不自由さが心底恋しくなりました。
思春期真っ只中のこの時期、私は世界一嫌いな言葉が「自由」になりました。人の関係性を断ち切り、人を自由という美談で孤独に追いやる正義を憎みました。
そして極め付けは、「芸能」という自由と不自由の格闘でした。
私たちは、文化という先人が創造した道具を選択し上手く使う自由しか与えられていないのか。
それとも、
私たちも生まれた意味があるとしたら、私は私の表現を、文化というキャンパスに創造してもいいのか。
選択的自由と、創造的自由。
阿波踊りは、果たしてどこまでが阿波踊りなのか。そんな問いに挑み、ギリギリまで可能性を広げてみたいと思いました。それは、多くのミュージシャンが音楽の概念を塗り替えてきたように。
阿波踊りは、人を肯定する芸である
おそらく阿波踊り関係者は、徳島の有名連を『阿波おどり』とするでしょう。(この時、「おどり」が平仮名表記になっているはずです。)
しかしながら、徳島の有名連の踊りをトレースすることは、東京生まれの私たちにとって阿波踊りなのか。
上手くて一糸乱れぬ阿波おどりが「素晴らしい踊り」で、そのパーフェクトな阿波踊りを目指すことが、本来の歴史的な姿なのか。
むしろ、「本場を尊敬している」というオブラートに包んで、いいものをコピペをしているような私たちは、心が痛まないか。
ずっと疑問に思っていました。
徳島が生んだ最高の文化である所以(ゆえん)は、踊る人を肯定することに尽きます。
だとするならば、「私たちも阿波踊りを通して私になっていいのだ!!」寶船はそんな解釈で、人に活力を届けるべく進んできました。
胸の奥が雑巾しぼりをされたように固くねじれていた私は、阿波踊りの自問自答でやっと自分を認識していきました。だからこそ、当時の私のテーマは、自己の感情を解放することだったのです。
そして海外に出て世界中を回り、雑巾しぼりのようにねじれた概念は、たかが小さな島国の小さな町の、さらに数十人単位の小さなコミュニティでしかないと気付きます。
名も知らない町で、全く違う言葉で生きてる人がいる。それだけで、心に潤いが戻ってきたのです。
「阿波踊りは、”ただそこにある”というアート」
今回パリに来て、さらに胸に刺さる言葉と出会いました。
イタリア・ミラノから阿波踊りに参加したダンサーさんが、こんな言葉を私たちに言ったのです。
「私がいつもやっているダンスの世界は、いわば戦場。パーフェクトな踊りを提供するために切磋琢磨し、劣っているものは認められない世界。でも、阿波踊りは違う。阿波踊りは、”ただそこにある”というアートだと思う。誰もが存在していていい、パーフェクトじゃなくても、ありのままで存在できるダンス。そこに本当に魅了されたの。だからイタリアから来たの。」
ロサンゼルスの原さんの言葉しかり、このミラノから来た女性しかり、阿波踊りの本質を教えてくれたようで、胸を貫きました。
ただそこにあるアート。つまり、自分が自分として存在していいということです。私は自由の不自然さを憎み、そして、創造することの自由を求めながら寶船を続けてきました。
そして、やっと見えてきた次の景色は、創造すること以前に、「自由に存在していいのだ」という、生命の糧を獲得することでした。
選択的自由から、創造的自由。そして存在の自由へ。阿波踊りを米澤渉の生身の言葉で、少しずつ語れるようになってきた気がします。
ただそこにあることを獲得する行為、それが阿波踊りなのかもしれません。
あれほど憧れ、そしてあれほど憎んだ自由という言葉が、自分のアイデンティティになってるーー。人生って本当に予測できないものだなぁと思います。
でも、不確定要素に溢れ、予測できない未来を生きることこそ「自由」の喜びですからね!