“心ここに在らず”な表現からの脱却!思考して身体が動くまでのタイムラグを芸能はどう克服するべきか

寶船の米澤渉です。

私たちのような芸能をやっている人間にとって、「現象が起きたことを理解し反応するまでの時間をどう捉えていくか」はとても重要なんです。

いきなりややこしい言い回しですいません。

つまり『現象が起こる→理解する→反応する』のタイムラグ。例えば、面白いことがあって人が笑うまでの、数秒間のことです。

音楽や阿波踊りをやっていて、「うまくいく時」と「同じことをやっているのに空気を持っていけなかった時」があります。そこで原因を突き詰めたら、この空気のタイムラグに答えがあるのでは?と気付いたのです。

なぜかすごく気になったため、色々なYouTubeを見て「観客の笑いが起きる秒数はどのくらいだろう?」「観客の拍手が起きるまでの秒数は?」と実際に測ってみました。お笑い・音楽・演劇・寶船の動画まで、様々な映像をストップウォッチ片手に再生…。

すると、たくさんの気付きがありました。

「思考→反応」のタイムラグをコントロールする者が、芸能を制す!?

前提として、会場のキャパが大きければ、現象の理解に時間がかかります。
例えば、スタジアムライブなどがそれに当たります。音速は人間が思っている以上に遅く、音が観客に伝わるまで時間がかかるのです。また、観客の声も演者に届くのは時間がかかる。この往復が数秒のタイムラグを生みます。これは『山びこ』を想像するとわかりやすいでしょう。

この距離のタイムラグは、空気の伝達スピードに関係があると思いますが、今回のテーマから少し逸れるので置いておきます。

ストップウォッチ片手に調べてみると、キャパの広さを考慮しないとしても(目の前で現象が起きていても)、0.5〜3秒ほどの時間がかかっていることがわかりました

おそらくスポーツマンなどは訓練で脳と身体の伝達が早いでしょう。でも全くのゼロになることは恐らくありません。

では実際にこのタイムラグを、私たちはどう捉えていけばいいのでしょうか。

考えて(思い出しながら)動いている自己表現は、0.5〜3秒ほどの過去しか存在できない

歌詞を思い出しながら歌を歌ったとき、「心ここに在らず」という気持ちになったことありませんか?

演劇のセリフも、ダンスや阿波踊りの振り付けも同じです。思い出しながら間違えないようにしていると、驚くほど生命力が失われます。
それは、この思考と反応の時差に原因があるのでしょう。

考えて動いている表現を要素分解すると、

①思考:脳が「正解」の記憶を思い起こす
②指令:脳が身体へ指令を出す
③行動:身体が動く

という①〜③の流れになっており、0.5〜3秒の時間を要するわけです。

つまり行動の瞬間には、脳や感情にとって0.5〜3秒前の指令を身体が受け止め、過去の「やりたいこと」を動作していることになります。「心ここに在らず」になるのは必然なんです。

「今を生きる」とは、「今を消滅させること」と同義

では、もう一歩踏み込んで、思考と反応のタイムラグをなくし「今を表現する」ためにはどうすればいいか考えてみましょう。

通常まず思い付くのは、反応を3秒に縮める→2秒に縮める→1秒に…、、というタイムラグの記録を更新していく発想です。

しかし、阿波踊りを20年踊ってきて、この方法は間違いだと気が付きました

なぜならば、「結局反応が早くても脳に経由しているのは変わらないから」です。上達すればするほど周りが見えるようになり、責任感も増え、冷静になって「観客やスタッフの方が不満に思っていないだろうか」と気にするようになります。以前より焦ったり空回りが増えてきました。笑

そこで、うまく心が今を奏でた時のことを思い直してみました。

すると、「今」に集中していればいるほど、何も考えてないことに気が付きます。いや、「考える・考えない」以上に「無心」なのです。一瞬で過ぎて、気がついたら終わっている。それは、「今ここにいる自分を消滅させること」とも言えます。

これは、仏教における「無」の境地にも近いのかな!?なんて思いました(詳しくないので違ったらすいません)。ニーチェが「我を忘れて踊れ」という名言を残しているのも同じことでしょう。

分析すると、そんな無心な状況は

  • 「予定調和ではないとき」
  • 「喜怒哀楽の何か1つが飛び抜けてブチギレたとき」
  • 「身体の限界がきて、精神力しか残っていないとき」
  • 「全ての外部的要因が自分を肯定していると思い込んだとき」

に起こるとわかってきました。

そうとわかれば、意図的にその環境を作り出せないか?それがポイントになってきます。

では私たちはどうすればいいか?

端的に言えば、『燃えよドラゴン』の冒頭、ブルース・リーのセリフにあるように「考えるな、感じろ」が解決策。

他の言い方を挙げるならば、「無我夢中」「今を生きる」「集中してるけどリラックス」「フロー状態」「一心不乱」「トランス状態」などとも言えます(もちろんニュアンスは多少違いますが、同じようなベクトルの言葉です)。

つまり自己表現は、脊髄反射のような本能的なものだと思います。「考える前に動くこと」で、自意識を越えた自分を開放させるという行動です。

経験の浅い方が勘違いしてしまうのは、「練習は間違えない為にするんだ」と思ってしまうことです。その結果、上に述べたように、身体は0.5〜3秒前に脳や感情が発した過去のメッセージしか表現できず、どこにもその人の「今」が存在しなくなります。

その人が頑張って笑顔を見せても、作り笑いにしかなりえません。MC(トーク)をしても、棒読みやテレアポの営業トークのようなもので、つい聞き流してしまいます。誰でも、信頼している相手に話をするとき、「わ・た・し・は…」と一度頭で文字起こしをしてから単語を話していないですよね。本来、それが自然だと思うのです。伝わる芸能は、そうあるべきです。

練習の本質は、考えなくても身体が動くようになること。反応から反射へと昇華する為です。つまり、表現中に「今」を刻み生命を放てるようになるためにするのです。

観客側も、演者の過去しか見れない

YouTubeで思考と反応のタイムラグを測り、気がついたことがもう1つあります。

それは、観客を魅了する演者側の「間」です。

例えばマイケル・ジャクソン。キメポーズをして、観客の大声援が返ってくる0.5〜3秒間、微動だにしないほど綺麗に止まっています。この「動きを止められるアーティスト」というのがめちゃめちゃ大切なことだと改めて感じました。動きだけではなく、空気も止められる、そんな印象です。

観客も、演者を見て反応を返すときには下記のようになります。

①現象:演者が表現をする
②理解:観客がそれを認識し理解する
③反応:自分の脳や感情でそれを表現し返す

①〜③のタイムラグは演者と同じく0.5〜3秒あります。もちろん反応が早い人や遅い人様々です。その認識のスピードがばらついているうちに、演者が次の行動に移ったとしましょう。

すると、演者が本能で今を表現しても、観客はその表現をタイムリーについて行けず、0.5〜3秒前に面白かったことを楽しんでいることになります

つまり観客側も、演者の今ではなく過去を見ている状況になりうるのです。

この、0.5〜3秒前の現象に反応・処理している瞬間に、もう演者は次の表現へと進んでいきます。「今何が起こっているか」も段々把握するのが疲れてくる、もしくは置いてけぼりに感じる現象が起きます。これが「ノレない」「感情移入できない」という状況を作り出してしまいます。

そんな時!最も有効なのが、「間」を取るという方法です。

芸能の最も大切な「間(ま)」とは、観客が反応する時間をコントロールすること

「間」をコントロールすることによって、【観客の理解と反応スピードを、常時リセットする】ということが可能になります。これにより、観客の思考が次の「今」に向けて揃って待機する現象が起き、期待が高まります。

これが、「じらし」と呼ばれる「間」の効果です。

芸能・芸術は、全てこの「間」に象徴される『観客が反応する時間をコントロールすること』が醍醐味であり難しいところなのではないでしょうか。

「どうすればそのコントロールができるようになるか」については、また別の機会に書きたいと思います。

おわりに

いかがだったでしょうか。

芸能に携わる方々だけでなく、仕事での「プレゼン」や「営業トーク」もきっとこの考え方が通じることと思います。自分の行動と、人の反応をよく観察して、どんな時に「アガる」かを研究してみると面白いかもしれません。

それにしても、「練習をただなぞるだけだと観客はノレないよ」というシンプルな内容を、めっちゃややこしく書いてしまった。。笑

読んでくださった皆さん、ありがとうございます。

上部へスクロール