阿波踊りのお囃子がワンパターンだと思っているあなたへ。多様な歴史を紐解き、可能性を広げよう。

阿波踊りのお囃子は、昔はもっと多様だった?!

現在、阿波踊りのお囃子をイメージすると、「三味線」「笛」「鉦」「締太鼓」「大太鼓」のような編成を思い描くのではないでしょうか。

しかしこの編成が定着したのは戦後から。特に昭和30年代に入り、演舞場に桟敷席が設けられ観光のコンテンツとして活性化してからです。

戦前のお囃子は多種多様

それ以前の阿波踊りの歴史には、意外にも西洋の楽器が多く登場します。大正から昭和初期にかけては、ジャズの流行で管楽器で演奏したり、バイオリンやハーモニカ、マンドリンなどを取り入れたり、本当に多様なものでした。その頃の写真も多く残っており、阿波踊りの自由さが垣間見えます。

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右の奥に並ぶ袴をはいた一団は、バイオリンを持っていることがわかります。

「大正時代になると鳴り物にも変化があり、いろんなものが使われ始めた。もちろん三味線や鼓が主体ではあったが、大正から昭和初期にかけてはバイオリンやマンドリン、ハーモニカ、クラリネットといった西洋楽器が広く用いられた。
バイオリンと尺八の合奏もあった。その時代に流行したものは、すぐに阿波踊りに取り入れられていることが分かる。楽器の変化とともに踊りそのものも多様化していった。
戦後は一貫して“見せる”踊り、“見る”踊りの道を歩んできたのに対し戦前、なかでも明治時代は“参加する”踊りが主体で、踊り子の熱気は大変なものだった。」

「昭和に入ってもいろいろな楽器が使われている。三味線や太鼓、尺八が中心であることに変わりはないが、新聞によるとバイオリンやハーモニカは相変わらず使用された。そのほか鉦、鳳尾琴、バラライカ、四つ竹、しの笛、タンバリン、ビールの空き瓶、金だらいなど多彩だ。昭和3年(1928)年の御大典奉祝踊りからは大太鼓が顔を見せ、観客を驚かせた。」

バラライカ:三弦撥弦楽器、共鳴胴は三角形で指先で弾く。ロシア、ウクライナの民族音楽に使用。

(徳島新聞《新聞にみる阿波踊り》より)

また、江戸時代の絵巻物には、チャルメラ(トランペットのような楽器)や、拍子木、桶などの日用品までを叩く様子を見ることができます。

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『鈴木芙蓉筆「阿波踊り絵図」/個人蔵・1798年』

 

『よしこの節』は流行歌?!

『よしこの節』というのも、本来は阿波踊りのものではないこと、ご存知でしたか?実は、『よしこの節』とは日本中で流行った流行歌。節回し(歌詞)を即興で変えながら日本中で歌われていました。(*よしこのは、都々逸(どどいつ)がルーツという説もあり)
その、当時の流行歌に合わせて踊っていたものが、阿波踊りにより『阿波よしこの節』として現在に残っているのです。

芸者さんはアイドルだった

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阿波踊りで三味線のイメージが強いのは、富田町の芸者さんが三味線の伴奏で阿波踊りを踊ったことによるもの。当時、楽器に縛りがあったわけではないのです。

つまり、使用楽器にルールを設けるのではなく、身近にある楽器を演奏し楽しむ精神こそ、本来の阿波踊りの姿と言えます。

調べてみると、富田町の芸者さんは10代の女の子が多く、アイドル的な存在だったそう。
10代のアイドルが流行歌に合わせて踊りを踊る…、現在で言えばAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」みたいなことでしょうか。(極解ですが、あくまで例として!)
それを、男性も含め町中で賑やかに即興で踊っていたのです。すごく華やかで楽しい空間だったことが想像できます。

寶船が即興ジャズセッション!昔の阿波踊りってこんな感じだったのかも!?

そんなわけで、私たち寶船もグルーヴィーな即興ジャズ!長野県にある寶船の合宿所で、突然鳴り物とトランペットのセッションがはじまりました!全編打ち合わせなしの、インプロビゼーション!

トランペットは、フランスのJapan Expoで寶船のMCをしてくれたSylvain(シルバン)。彼はパリでトランペット奏者をしており、指揮者として楽団をいくつも持つすごい人なんです!

このような即興性の高い演奏は、文化発祥の原点とも言えます。阿波踊りも、元々は即興性の高いお祭りでした。シルバンとセッションをしながら、阿波踊りのルーツを感じました!

またやろう!!

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