徳島の夏が終わりました。昨年以上に多くの方にお声掛けいただき、交流できた夏でした。私たちのような小さなグループを受け入れてくださる徳島に、心から感謝いたします。
2009年、初めて徳島阿波踊りへ
最初に寶船が徳島で踊ったのは、実は6年も前なんです。知り合いは一人もいませんでした。車一台に鳴り物を積み、アウェーすぎる中で踊りました。確か7人。ガクガク震えるほど緊張し、背水の陣でした。
ホテルに泊まるお金もなく、吉野川近くのネットカフェで泊まりました。徳島という街が、巨大な怪物のようでした。町中が光り輝き、人が熱狂し、汗と笑顔が無秩序に広がっていました。その徳島で、誰も味方がいないような孤独を感じました。ぽつんと小さな無人島に取り残されたような気持ちでした。大声を出して叫んでも、徳島では私たちのことなんて誰も見向きもしない。吐きそうなほど、徳島で踊るのが怖かったです。
連長である父の言葉
そこに輪をかけて追い込みをかけるのが寶船の連長である父でした。
寶船は小さな連とはいえ、大太鼓を8台くらい持っています。締太鼓だって3〜4台、本気出せばそこそこの数のお囃子が出せるわけです。周りには、100人を越える連が数えきれないほどいます。当然、人数を揃え、完璧な状態で徳島に行きたいと思うわけです。
でも、連長は許しませんでした。
「本場徳島で踊るなら、大太鼓は1台。」
正直当時は、「なんで?!音のボリュームで負けるじゃん!完璧な状態で徳島に挑みたい!!」
と、揉めた記憶もあります。
しかし、連長は認めませんでした。「本場の徳島に敬意を払うなら、数でごまかさず人間力で勝負しないと」。
怖がりだからこそ、チャレンジを
私たちは怖がりな人間です。集団の中にいたら、覚悟を決めないのです。「一人だろうとやってやる!」とは考えません。人数で負けてるから、徳島の人間じゃないから、批判がくるから、笛や三味線がないから…と、やめる理由を考える天才です。それは色々理由をつけても、【ただ怖いから】。
でも最高のチームとは、「一人だろうとやってやる!」という人間が複数いる状態なんです。「極論、鳴り物ゼロでもいい。俺一人でも伝説作ってやるから見てろ!」、そんな覚悟を決めなさいと教えられてきました。
『そもそも、踊る阿呆になれてるのか?自分は、踊る小利口になっていないか?ドン・キホーテが風車に立ち向かうように、自分はクレイジーに生きているのか。』
長い間、私たちは徳島という阿波踊りの本場に挑戦することで、そんな問いと対峙することができました。
今回、たくさんの方にご声援をいただき、単独公演も14日と16日合わせて計3回も行うことができました。四国放送や徳島新聞、産経ニュース、様々なメディアに取り上げていただきました。
でも、大太鼓は一台。踊りと鳴り物合わせても10人にも満たない若者たちです。
「ほら、できるじゃん。」
あの頃の怖がりな自分へ、そんな言葉を贈りたいです。
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米澤 渉

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