世界一服にお金をかける男たち
アフリカ・コンゴ。貧しい国にも関わらず世界一服にお金をかける男たち、「サプール」。そんなサプールたちの生き方がNHKでドキュメンタリーになっていました。『地球イチバン』という番組で、ダイノジの大地洋輔さんが旅人としてサプールの村を訪れるというものでした。
サプール(Sapeur)
コンゴにおいて1950年代から1960年代のパリ紳士の盛装に身を包み、街中を闊歩するスタイルのことである。高級ブランドのスーツに身を包み、帽子と葉巻やパイプ、ステッキなどの小道具とともに街を練り歩く。タキシードにシルクハットなどという装いのものもいる。中にはタータンキルトを着用する者もいる。
後発開発途上国であり、度重なる戦乱により荒廃したコンゴにおいて、年収のほとんどを注ぎ込んででも華麗な服飾やエレガントな振舞いを追求する彼らの存在は、街の子供たちや庶民にとっては喝采を送るに値する英雄であり、欧米圏でもポール・スミスのように彼らの独自の美意識をファッションデザインに取り入れるなど、注目する動きが見られるという。
サップ(サプール)は互いの独自の美意識をリスペクトし、常に自分の美的センスを高く保つ事、平和を愛する事などの理念、時に互いの服や靴を貸与しあう事で、社会的地位、年齢の長幼、収入の多寡を超えて成立しうる概念である。
サプールは、ポールスミスがコレクションのモチーフにするほど、ハイセンスでエレガント。月給は日本円でたったの2万円ほどの貧しい暮らし。その給料を少しづつ貯め、超一流のブランドを着飾り、踊りながら街を練り歩きます。
そこには、お洒落を越えた平和な精神が宿っていました。フランス植民地時代から内戦が絶えなかったコンゴ。彼らは武器を持たず、非暴力を誓い、「着飾ること」で競い合うことを選びます。生活はどんなに貧しくとも、心は豊かである象徴。それがサプールなのだそう。
週末になると、約3時間の時間をかけ服を選び、街へ。映画館もないコンゴの人々にとって、彼らはアートでありエンターテインメント。人々はサプールに喝采を贈り、子どもたちはみんな彼らに憧れています。サプールたちは、ネクタイの締め方や身のこなしを子どもたちに教え、その精神を受け継ぎます。
サプールの生き様とは?
8年分の給料を服に使っていると、サプールの一人は言いました。日本人のお洒落と覚悟が違いすぎます。
「何があろうと決して暴力を振るわない」
「色は3色までがルール」
「胸をはり背筋を伸ばし、優雅に歩く」
「ライバルであろうと尊敬を忘れない」
「どんなときも心は貧しくならない」
平日は日常のボロボロの服に戻り、水すらもバケツで汲みに行く貧しい暮らし。しかし、サプールたちは着飾ることを辞めません。コンゴの若者にとって、どんな武器や鎧より、「エレガントで心を豊かにする」という行為こそが強さなのです。
あるカリスマサプールの愛弟子が、一人前のサプールとしてデビューするシーン。3万円もするスーツを弟子へ選び、プレゼントしていました。ちなみに、月給は2万円。
「なぜそこまで、若者へ情熱を注ぐのですか?」
旅人のダイノジ大地さんが聞きました。
「若者は、コンゴの未来だからです。彼がサプールとして一人前になることは、コンゴが平和で豊かになることなんです」
サプールの生き方を見て、涙が出ました。
「外面を飾る」から「内面を現す」へ
お洒落について、表層的な感情に捉われてしまう人は多いはずです。日本では、「外面を飾る」ことがファッションと思いがちだからです。しかし、サップの精神は間逆でした。「内面を現す」、これがファッションなのだとひしひしと感じるのです。
同じ美への追求にしても、「外面を飾る」から「内面を現す」へ視点を変えると、ファッションの奥深さが見えてきます。
山本寛斎さんは、ファッションは「我ここにあり」だとおっしゃっていました。自分が自分の物語の主人公であれ。君の物語は、どんなドラマなんだ。君は、そのスケールの物語を生きているのか。そう教えられている気がしました。
サップの精神も同じです。
特にコンゴの方々は「内紛」「差別」「貧困」など、環境自体、決して恵まれているとは言えません。だからせめて「どんな環境でも、俺たちは腐っちゃいねえ!」という本能が現れるのでしょう。
「俺はエレガントに生きてるぜ。お前らはどうだ?」そう競いながらアイデンティティを高め合う。誇りを失わないために、その精神は何より大切なのかもしれません。
『エレガントに生きる』
ただその一点に人生を懸けているサップの精神に、私は深い感銘を受けました。
■地球イチバン
「世界一服にお金をかける男たち」
【ナビゲーター】役所広司
【旅人】大地洋輔
番組HP http://www4.nhk.or.jp/ichiban/