『無礼講2021』開催に向けて! 2018年に徳島両国橋で開催された『無礼講2018』足跡を振り返る

どうもこんばんは。金髪の異端児、たかしです。

今回は、寶船が立ち上げた『無礼講』というプロジェクトの足跡を紹介します。

このプロジェクトは、寶船が阿波踊りのルーツや歴史を掘り下げて、真の意味での“阿波踊りイズム”を広めるために立ち上げました。

元々は、徳島の両国橋交差点という場所から始まった『無礼講』の歴史。その背景には当時の阿波踊り業界の文脈や、寶船が理想に掲げるビジョンが大きく関係していました。今日は、寶船が一番大事にしている『無礼講』というプロジェクトの誕生の物語をご覧いただきます。

阿波踊りの起源と「無礼講」のかかわり

この『無礼講』というプロジェクトには、寶船が阿波踊りのプロとして活動していく上での歴史的な掘り下げや、現代の阿波踊り業界への僕たちなりのメッセージがとても反映されています。

時は、1586年。当時の徳島藩の大名であった蜂須賀家政という人が、「徳島城」というお城を築城しました。その際に家政が民衆に対して「城の完成祝いとして、好きに踊れ!」というお触れを出したと言われています。

その当時は、士農工商といった身分制度が設けられていて、農民や商人と武士とが交流する機会はほとんどありませんでした。その時代の文脈において、家政のお触れというのはかなり画期的なものだったそうです。つまり、このお触れのメッセージというのは「農民も商人も武士も関係なく、今夜だけ一緒に踊ろうぜ!」ということですからね。

一説には、この時のお祭りが阿波踊りの起源となっているそうです。つまり阿波踊りというのは、元々が“無礼講”だったわけです。後々、歴史が流れていくに連れて、阿波踊りは様々な形態へと進化していきました。しかし、それでも一貫して何百年間も阿波踊りの歴史で貫いてきたこと。それはまさしく“無礼講”の魂だと思います。

「無礼講」プロジェクト発足の背景

話を現代に戻します。近年の阿波踊り業界というのは、残念ながらネガティブなニュースが世間を賑わせる局面がありました。例えば、運営の赤字問題。2020年に入ってからは、コロナ対策における諸問題。決して前向きとは言えない空気が阿波踊り業界の中に漂ってしまっていることは、残念ながら事実です。

元々は、分かち合うために阿波踊りを始めたはずなのに、気がつくと業界の中で摩擦が起きてしまうジレンマ。この如何ともしがたい状況には、僕らも本当に心を掻き乱される思いでした。

曲がりなりにも阿波踊り業界に携わっている人間の端くれとして、ちょっとでも業界に明るい話題を提供したい。本来の阿波踊りのビジョンを取り戻したい。そういう強い気持ちで、2018年に僕らは『無礼講』というプロジェクトを立ち上げました。

阿波踊り経験者も、未経験者も関係ない。国籍も性別も年齢も、全て関係ない。文化の垣根も、世代の垣根も越えて、本当の意味で心と心が繋がる瞬間は、必ずある。そして、その瞬間を実現させられるのは、もしかしたら阿波踊りだけかもしれない。

そうやって、始めは徳島の両国橋の交差点から始まった『無礼講』が、2020年には渋谷La.mamaでの『無礼講2020』に発展し、ついに今年の10月2日。今までに類を見ない豪華ゲストの方々が登場する『無礼講2021』というイベントが開催されます。

普段ここまでの言い方はなかなかしませんが、東京近郊にお住いの方、まじで来ないと損ですよ!本当にオススメです!この閉塞感で押し潰されそうな時代だからこそ、寶船と一緒に明るい未来を見ませんか?

詳しくは、下記の『無礼講2021』のウェブページをチェックしてみてください。

(たかし)

このイベントはコロナ禍以前に行われました。

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