【伝説のライブハウス】ザ・クロマニヨンズやエレファントカシマシを輩出した、下北沢SHELTERで踊ってみた!

どうもこんばんは。金髪の異端児、たかしです。

今回は、伝説のライブハウス『下北沢SHELTER』で阿波踊りを踊ってきました!

下北沢SHELTERは、ザ・クロマニヨンズやエレファントカシマシなど、日本を代表するロックバンドが出演してきたことで有名です。

今日の動画では、元々バンド業界出身だっただけあって、米澤兄弟がいつにも増して熱く下北沢SHELTERについて語っています。僕らにとって下北沢SHELTERという場所は、思い入れが半端じゃないですからね。本編では、ロックバンド時代の面影を感じるわたる君のMCにも注目です。

寶船メンバーの面白いところは、今までのキャリアの中で阿波踊り以外のこともたくさんやってきたということです。リーダーのわたる君や僕は、元々阿波踊りのプロになる前は、プロミュージシャンを目指していた時期がありました。

人生が面白いのは、その時代の文脈が決して無駄になっていないということですね。ミュージシャンを目指していた頃に学んだ知識が、今の活動にもろに活かされています。例えば、スタッフさんと音響や照明の打ち合わせをする時の最低限の知識。ステージの機材の知識。そういった、今でも大事な知識は、みんなバンド時代に学びました。

また、人間関係の文脈も、今にとても活かされています。今日紹介しているライブもその一つで、わたる君のバンドマン時代の盟友「ハウシンカ」というロックバンドにお誘いをいただき出演しました。バンドマン時代からの歴史があるので、この時のわたる君の思い入れというのは相当なものだったと思います。

ライブ中にわたる君がMCでこう言いました。

「『米澤は夢を捨てた』と思われて早3年が経ち、本当のロックは何かと考えた結果、こうなりました!」

この言葉には、わたる君の色んな想いや歴史が含まれていると思います。

僕らがミュージシャンから阿波踊りのプロへと活動の軸を変えた時、バンドマン時代を知っている友達はみんな「夢を捨てた」だとか「あきらめた」という目で僕らを見ていました。

でも、どうでしょうか。本当に夢に向かって走ってきたのは誰なんでしょうか。僕らは衣装を赤い浴衣に着替え、楽器をギターから太鼓に変えただけのことです。魂の部分は、一切変わっていません。戦い方を変えることで、世界に飛び出すことも出来ました。あの頃の自分だったら、信じられないようなステージにも立ちました。

そうなれたのは、バンドマン時代にたくさんの悔しい経験や無力さを感じていたからです。一番ロックを追求していたのは、むしろ僕たちだったんじゃないかと、今は胸を張って思います。

そのことを下北沢SHELTERのライブでは伝えたかったんでしょうね。今見ると、下北沢SHELTERのステージは荒削りですが、その荒さから当時の僕らの気迫を感じます。

「俺たちはこれで生きていく!」

あのステージは、僕たちの生き方の表明でした。あの夜、それを下北沢SHELTERのステージに置いてきたことで、僕らは人生を清算することが出来ました。あの頃があるから今がある。そう思えた特別な夜でした。

(たかし)

このイベントはコロナ禍以前に行われました。

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