平成から令和へ。人生を背負う覚悟を持つ勇気と、誠実さが信頼と価値を生む

平成の歪みと令和の幕開け

ジャニーさんの死去、京アニの事件、DJ社長の炎上プロモーション、吉本興業の闇営業問題と記者会見、そして参議院選挙。昭和・平成に正しいとされてきた常識や概念が、令和になり急速に歪みが出ている。

「いい・悪い」「賛成・反対」ではない。どう捉えるにしろ、時代の転換期であることは間違いない。重要なのは、悪者は誰かより自分はどう感じ、どう動くかだ。

昭和での強い武器は、肩書や経歴だった。平成は近代への過渡期。インターネットで世界とつながり、社会は「多様性」と「自由意思」について真剣に考えるようになった。

そして今。令和になり、最近多くのニュースを見ていると、「自分のことば」で「勇気と誠意を持って話す」ということがどれだけ大切かを思い知らされる。

アイデンティティの時代へ

グローバル社会というけれども、海外で活動すればするほど、「世界」という場所はどこにもなかった。その土地ごとに根付いた文化と営みがあるだけ。様々な国に行き世界中に友人ができると、大切な人が増えるのと同時に、自分の存在も愛おしくなった。

そうか。グローバル社会とは、アイデンティティの時代と同義なんだ!

「好きなことで生きる」とか「やりたいことをやる」という言葉をよく聞くようになったけれど、その本質は「自分のアイデンティティで勝負できる時代」ということなのだ。

孤立を生むものではなく、社会を彩る

政治も宗教も哲学も芸能も、境界線をつくり対立を煽るものではなく、異なる人間同士が共存していくために創意工夫してきた偉大な発明である。

当然、人は皆、それぞれが違う形の幸せを望んでいる。けれどそんな各々の理想の差異を、壁をつくり孤立を生むものではなく、むしろ社会を彩るものにしたい。

自分も、考えを持ちアイデンティティを育む1人の人間。世界には、政治観・信仰・美学が異なる人もたくさんいる。

そんな一人ひとりの信念の違いを見て、僕は他者を断絶したくないし、その違いを楽しめる人間になりたいと思う。

主義主張も、社会的レイヤーの違いから隔たりが生まれている場合が多い。知識や経験によって考えも変わっていく。世の中が変われば、当然マインドも変化する。だから、絶対に正しいことなどない。

ボブ・ディランが「僕から見れば僕が正しい。君から見れば君が正しい」と言っているように。

人生を背負う覚悟を持つ勇気と、誠実さ

怒りはあっていい。綺麗事だけなわけがない。思ったことは激しく議論していい。けど、安全圏からではなく痛みを伴うほどに主体的に生きれば、きっと他者の痛みも(もちろん全てではないけど)わかってくるはず。

だから大切なのは「あいつがこう言ってる」ではなく、「自分はこう思う」という信念。自分の人生を背負う覚悟を持つ勇気と、誠実さが信頼と価値を生む。

そんなわけで、僕も今後はもっと自分のことを発信していこうと思う。

SNSによる「他者との見解の違い」も、「意図的につくりだす共感」も、結局狭い世界の中で泳いでるだけ。考えていることを、誠実に言葉にすることが一番大切なんだと改めて思った話でした。

 

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