どうもこんばんは。金髪の異端児、たかしです。今回は阿波踊りを、伝説のライブハウス『新宿JAM』で踊って来ました!
ロックの殿堂と言われ、THE BLUE HEARTSやエレファントカシマシやスピッツや氣志團など、数多くの有名アーティストを輩出してきた新宿JAM。寶船もそんな新宿JAMに育てられた数多くのアーティストの中の一つです。
そんな歴史ある新宿JAMは、多くのファンから惜しまれつつも2017年の年末をもって閉店。今日は新宿JAM閉店の2日前。寶船の新宿JAMでの最後のステージの模様をご覧いただきます。寶船にとっても特別な場所でのラストダンス。ぜひ最後までお楽しみ下さい。
僕らにとって新宿JAMっていう場所は、ちょっと一口では表現出来ないくらい沢山の思い出が詰まっています。僕らがまだ何者でもない頃。そもそも阿波踊りのプロとしての活動をスタートさせていない頃に、新宿JAMに本当に育ててもらいました。
僕らがまだ10代だった頃。その当時は、まだ1つの阿波踊り団体だけで有料イベントを開催すること自体が無謀だと言われていました。世間の目も冷たく、「お祭りで無料で見れる芸能に、なんで金なんか払うんだ」と言わんばかりの風潮が僕らの恐怖心を煽りました。
それでも、僕らは若かった。誰もやってないことを、やってみたかった。世間に何を言われてもいい。一回自分の信じた道を走ってみたい。そんな時、名もなき僕らに手を差し伸べてくれたのが新宿JAMでした。
新宿JAMは、初めてお客さんからお金をいただいて寶船主催の公演をさせてもらった場所です。言ってみれば、プロとしての自覚を植えつけられた場所でもあります。
2009年10月25日。その日が寶船にとって初の単独公演でした。100人入ればいっぱいの会場に、180人ものお客さんが詰めかけ、ぎゅうぎゅうの中行われた寶船第一回単独公演。ほとんどのメンバーがまだ10代だった僕たちは、そのステージに当時の全てを込めました。
カーテンコールが終わっても鳴り止まない拍手。こんな未熟な僕たちに、お客さんは確かに声援を送ってくれました。ステージを終えた僕たちは、溢れ出す感情をどうコントロールすればいいかわからず、みんな楽屋で泣き出していました。
小学生の頃から馬鹿にされて、嫌で嫌で仕方がなかった阿波踊りが、今日だけは胸を張って自慢できる気がしたあの感覚。あの日の感情は今だに忘れることが出来ません。あの日の経験があるから、今だにプロとしてやれてるんだと思います。
そんな思い入れのある新宿JAMが閉店する、というニュースが飛び込んで来たのは、2017年の夏のことでした。ニュースを聞いてすぐに店長の石塚さんに電話をかけ、「最後に新宿JAMでライブやらせて下さい」と打ち明けました。
2017年の時点で、すでに僕らは新宿JAMには出ておらず、海外公演やフェスなどに出させていただくほどに成長していました。ほんの少しだけ、「僕ら成長したでしょ?」と実家の両親に挨拶するような気持ちでライブを企画していた自分がいました。俺たちすごいだろ?というちょっとしたおごりみたいなものもあったと思います。
しかし、いざ新宿JAMに行ってみると、そんな思い上がった感情は一瞬で吹っ飛びました。会場入りした時点で、全員が10代のあの日に戻っていました。あの場所独特の空気、匂い、多くのバンドマンが残してきた落書きの数々。あそこに行くと、いくつになっても心臓がバクバクしてきます。それだけ新宿JAMでの苦い経験や、悔しい思い出を残してきたってことなんでしょうね。
かつて10代の頃に感じたあの日の緊張感。あの感覚がこの胸の中にある以上、僕らの青春はいつまで経っても終わることはありません。新宿JAMには、そんな僕らの青春の全てが詰まっています。
新宿JAMから巣立った数々のアーティストの中に、寶船の存在もあることが、僕らにとっての何よりもの誇りです。
(たかし)
※このイベントはコロナ禍以前に行われました。
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