原点は傾奇者にあり?! 阿波踊りの起源に迫る!

今日は、阿波踊り界でもあまり語られていない、阿波踊りの起源について掘り下げようと思います。阿波踊りをやってる方、起源を知らない方、知ってるつもりだけども詳しくはわからない方はぜひ最後まで読んでいただきたいと思います。

道を練り歩く現代の阿波踊りのイメージは、「ぞめき踊り」と呼ばれ盆踊りが起源です。これは盆に迎え火を焚いてその周りを踊った精流踊りから始まったそう。阿波踊りの最古の絵として有名な「阿波盆踊図」も、このぞめき踊りを描いたものです。画家・鈴木芙蓉がそれを描いたのは寛政8年(1796年)頃。しかし、その遥か前から、阿波踊りは存在しています。

最も勢力があったのは「組踊り」

阿波踊りには「ぞめき踊り」以外に、「俄(にわか)踊り」と「組踊り」という形式が存在していました。ぞめき踊りよりも以前に大規模な勢力があったのは「組踊り」と呼ばれている阿波踊り。この踊りは中世に京都などで人気を博していた風流踊りを継承するものだそう。天正6年(1578年)の盂蘭盆には、京都から風流の芸能集団を招いた記録があり、豪華絢爛で相当な人気があったようです。

よく阿波踊りの起源を「徳島城築城の時に無礼講が許されて、それから踊られるようになった」といわれますが、徳島城築城は天正13年(1585年)のことで、城下の民衆が踊ったのはこの組踊りであり、ぞめき踊りではありません。

つまり、この組踊りをまず深く知る事が阿波踊りの起源を知る第一歩になると思うのです。

組踊りとは、100から120人ほどの大規模な踊りで、華麗な衣裳や持物で観衆の眼をひきつけ、幻想の世界に人びとを誘うことを狙った贅をつくした踊りであったそうです。もちろん現在の阿波踊りとは全く違うものでした。とにかく豪華絢爛、派手で大規模だったようです。

この組踊りの精神を深く知るには、その時代背景を少し知る必要があります。

傾奇者(かぶきもの)とは?

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かぶき者(かぶきもの。傾奇者・歌舞伎者とも表記)
戦国時代末期から江戸時代初期にかけての社会風潮。特に慶長から寛永年間(1596年~1643年)にかけて、江戸や京都などの都市部で流行した。異風を好み、派手な身なりをして、常識を逸脱した行動に走る者たちのこと。茶道や和歌などを好む者を数寄者と呼ぶが、数寄者よりさらに数寄に傾いた者と言う意味である。かぶき者の文化は慶長期にその最盛期をみるも、同時にその頃から幕府や諸藩の取り締まりが厳しくなっていき、やがて姿を消していくが、その行動様式は侠客と呼ばれた無頼漢たちに、その美意識は歌舞伎という芸能の中に受け継がれていく。

(wikipediaより)

当時、江戸や京都では「傾奇者(かぶきもの)」が大流行していました。
傾奇者とは、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて、特に慶長から寛永(1596~1643)に、江戸や京都などの都市部で流行した社会風潮。異風を好み、派手な身なりをして、常識を逸脱した行動に走ることを「傾く(かぶく)」と呼びました。

時代的にも、傾奇者の流行と組踊りの始まりは一致していて、傾く精神が風流踊りなどで阿波藩にも伝わり、武家奉公人や庶民に広まったと考えていいと思います。特に、徳島城が築城された1585年頃は、傾奇者の一番のピークだったと言えます。

当時男性の着物は浅黄や紺など非常に地味な色合いが普通でした。しかし、傾奇者は色鮮やかな女物の着物をマントのように羽織ったり、袴に動物皮をつぎはうなど常識を無視して非常に派手な服装を好みました。これもまた組踊りの豪華絢爛さと一致します。

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阿波踊りの精神は、“傾く”こと

こうした身なりや行動は、世間の常識や権力・秩序への反発・反骨の表現としての意味合いがあったようです。
傾奇者達は、仲間同士の結束と信義を重んじ、命を惜しまない気概と生き方の美学を持っていました。その男伊達な生き方が共感と賞賛を得てもいました。

傾奇者の精神は「義」を重んじることでした。「義」とは「我の美」と書きます。常識や世間体ではなく、真の自分自身の美に忠実に生きること、その生き様が傾奇者であり、阿波踊りの精神の起源であると思います。

傾奇者の精神は、天下の傾奇者と呼ばれた前田慶次郎の伝記漫画「花の慶次~雲の彼方に~」で少し垣間見る事ができます。興味がある方は読んで頂きたいです。

傾奇者の精神は、一方で「歌舞伎」として受け継がれ、もう一方では「阿波踊り」として受け継がれていきました。それはやはりその生き様が、現代でも全く色褪せないほど格好良かったからだろうと思います。

だからこそこれからも、己の美を命がけで貫いた「傾く」という精神を、なんとしても未来に受け継いでいきたいです。

阿波踊りは、ただの娯楽ではありません。阿波踊りという名の生き様です。表面的な動きばかりをなぞって、「阿波踊りっぽいもの」をすることは阿波踊りではないのだろうと思います。

寶船はこれからもぶれる事なく、「義」の心を忘れぬように踊っていこうと思います。

 

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