文化は民衆の精神に宿る”生きもの”で、同じクオリティをトレースする工業製品ではない
悔しい想いは、成果を出して晴らすしかない。
上辺をことごとく避け、阿波踊りとは何か、踊る阿呆とは何かを探求してきた。精一杯、本質を考えに考え抜いてきたつもりだ。これは誰にも負けていない。
阿波踊りをはじめたのは6歳の時。子どもだった自分が憧れたのは、高円寺阿波おどりで見た「江戸っ子連」だった。その後、徳島の「阿呆連」や「殿様連」、「まんじ連」という提灯踊りの有名連を知る。かっこよく提灯を振り回す姿に魅了された。YouTubeがまだない時代。テレビで阿波踊りが放送されると録画し、擦り切れるまで見た。激しい踊りに胸が高鳴った。
当時、家に『浅草』と書かれたお土産用の手持ち提灯があった。縦20センチほど。筒状というより丸型だったが、構造は阿波踊りのものと同じ。小学生だった私は、それを振り回して踊った。
「提灯踊りがやりたい!」
徳島出身の父にそうせがむと、思わぬ答えが返ってくる。
「格好いいと思ったものは、すでに世の中にあるものなんだよ。もし、渉が最初に提灯踊りを生み出したなら、ぜひやろう。でも、違う。だから格好いいと思う提灯踊りには、簡単に手を出しちゃ駄目だ。練習でたくさん真似して、いい踊りをたくさん吸収して、渉らしい格好いいものつくろう」
正確な言葉ではないが、連長だった父はそう言った。クリエイティビティはモノマネから始まるが、ゴールにしてはいけない。文化は民衆の精神に宿る”生きもの”で、同じクオリティをトレースする工業製品ではないのだ。
未来に伝統を進めるのは、いつの時代も無謀な若者たちの革新なのだ
寶船が発足してから数年後。今から16〜17年ほど前のこと。徳島出身の父親に連れられ、私たち家族は徳島市八万町の徳島県立図書館に行った。
「”阿波踊り”の記載がある資料は、全て読もう」
当時中学生だった私に、父はそう言った。阿波踊りをやるならば、歴史を、本質を知る必要がある。誰よりも詳しくなれ、と。
それ以来私は、手に入る阿波踊りに関する本や論文は、すべて読んできたつもり。それほどまでして、阿波踊りについてを探求する関係者をほとんど知らない。
そして、芸態は常に変化していること、伝統とは革新の歴史であることを知った。阿波踊りは、精神の解放と無礼講の祭りであるのだ。そこには、民衆の歓喜と慟哭が表れている。
だから自分たちの表現を獲得するべきなのだ。阿波踊りは、その時代に生きる息吹を血肉化し、自己表現に落とし込む手段である。寶船は、どことも似ていない阿波踊りを探し、挑戦することで阿波踊りの歴史に敬意を払いたい。徳島や高円寺の一糸乱れぬ圧巻の踊りを愛するからこそである。
踊りや鳴り物を、徳島や高円寺の阿波踊りに近付けようと頑張る連があってもいい。徳島の振興協会や県協会のスタイルを目指す連だけが「正調」と称えられ、スタンダードになっていてもいい。けれど、寶船は身体動作のトレースより、誰もが唯一無二だった頃の、歴史的な阿波踊りを目指した。それは多難の道であり、同業者からもなかなか理解されない孤独な旅路である。
「寶船は阿波踊りじゃない」
そういう方がいるのは、百も承知。賛否両論があってこそ、未来は開かれる。有名連の踊りを忠実に真似しようと頑張れば、波風は立たないかもしれない。けれど、大好きな阿波踊りの連、大好きな徳島、そして歴史と精神を想えば想うほど、「お前の阿波踊りは何なんだ!お前が憧れるのは他者の阿波踊りであり、お前自身ではない」と心が叫ぶ。
まだまだ理解されないと思う。けど、未来に伝統を進めるのは、いつの時代も無謀な若者たちの革新なのだ。
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